ラグビー日本代表の松田力也選手が熱いですね!
W杯チリ戦では、トライ後のコンバージョンキックをすべて決め、波に乗っている選手ではないでしょうか?
松田選手の父親はすでに他界しているそうですが、その亡き父親との約束が感動的です。
そこで今回は松田選手の父親についてまとめました!
松田力也の父親もラガーマン!!
こちらが松田選手の父親の松田大輔(まつだだいすけ)さんです。
花園高校出身のラガーマンで、京都にあるユニチカ・フェニックスという社会人チームに所属していました。
ラグビーをやめてからは、居酒屋【ありと】を夫婦で切り盛りしていたそうです。
そのときの様子がこちら!
元日本代表の大八木淳史さん(左)や伏見工高元監督の山口良治さん(松田選手の右隣)も一緒に写っていて、
ラグビー界において錚々たる方々との交流があったことがわかりますね!
父親との約束が泣ける
ラグビーを始めたきっかけは父!
父親の影響で6歳からラグビーを始めた松田選手にとって、父親は憧れの存在で尊敬すべき存在でした。
時に厳しく、優しくみんなから愛される人だったそうです。
「父はFL(フランカー)でしたが、FWに憧れたことはなかったですね。ずっとBKでいきたいと思っていました。僕が小学校5年生の時に他界しましたが、父親がラグビーをやっていたから、僕もラグビーをやる機会をもらい、今がある。なので、すごく感謝しています。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/rugby/2023/03/16/post_5/?page=3
親子二人三脚でのラグビー人生は順調でしたが、別れは突然でした。
最後の会話は「軽く寝るわ」
松田選手が小学5年生のクリスマスに父親はくも膜下出血で急逝しました。39歳という若さです。
その日、松田選手は地元のラグビースクールの試合に出場していましたが、密集で下敷きになり、肩を負傷して救急車で運ばれました。
お店が一番忙しい時期だっだそうですが、父親は松田選手のために試合や病院の付き添いまでしてくれたそうです。
診察が終わり父親と帰宅したあと、夜の仕事のために「軽く寝るわ」と言って寝室に向かいました。
これが最後の会話だったそうです。
自分のせいで父親が亡くなったと責めた!
当時の様子を松田選手はこのように回顧しています。
「寝る前に『ちょっと頭痛いな』と言っていたような記憶があります。僕が見に行ったときはもう息をしてなくて。母が心臓マッサージをしていたのは覚えています。父は救急車で運ばれて、僕らきょうだいは、おばあちゃんといっしょにタクシーで追いかけました。会うまでは亡くなったと信じたくなかったですね」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230828/k10014176231000.html
『自分が怪我をしなければお父さんは亡くならなかったのではないか」と11歳ながらに自分を責めたそうです。
父親の親友が病院に駆けつけたとき、松田選手が泣きながら「僕のせいでお父ちゃんが死んだ」と言ったそうです。
11歳の少年にとって、ラグビーの師でもあり父でもある父親の死はあとにも先にもつらい体験だったと思います。
父親との約束を果たす!!
「高校日本代表に入ればラグビー選手として、おまえの勝ちでいいよ」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230828/k10014176231000.html
物心ついた頃に父親からこのように言われたそうです。
父亡きあとの松田選手の支えはやはりラグビーでした。
伏見工業高校2年生のときに全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場し、父親との約束を果たしました!
そのあとは日本代表を目指したそうです。
僕は高校2年生で高校日本代表に選ばれたので、約束は果たせたかなと思っています。その時から『日本代表になりたい』という思いも強くなった。W杯で活躍することが、父親に対して、そして母親や自分の家族に対して、いい恩返しになると思います」
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/rugby/2023/03/16/post_5/?page=3
家族思いの心があらわれるエピソードですね。松田選手の人柄のよさを感じます。
松田選手の高校時代の恩師もこのように語っています。
「力也は家族に心配かけたらいけないと、いろんな悩みを自分の中で消化して頑張ってきた子でした。徳のある子で、いい指導者、いい仲間に出会って成長していったと思います。能力がある選手はたくさんいるけど、そこから抜け出すのは難しい。その点、自分の立ち位置を受け止めて努力できる選手でした」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230828/k10014176231000.html
こんなに立派な男性に成長して、父親もきっとよろこんでいるのではないかと思います。
まとめ
今回は、松田選手の父親と約束についてまとめました!
父親は松田選手が11歳の時に急逝していることがわかりました。
約束については、高校日本代表になるということでした。
自分のせいで父親な亡くなったと責めた松田選手ですが、最愛の父亡きあともラグビーが支えとなり、
この約束を松田選手はしっかり果たしています。
これからも松田選手の活躍から目が離せませんね!